主の証,  日々のあれこれ

主の証 -私の信仰-

Twitterでsimaenagaという名前でツイートしています。

私は元、日本キリスト教団の教会の信者でした。今思えばスカスカの教理だったのですが、なんの疑問も持たずに長い間、そこで「クリスチャン」をしていました。

キリスト教との出会いは高校生の時です。「キリスト教の精神に則った」その高校で、聖書と出会いました。あまり熱心に伝道する高校ではなかったので、キリスト教の説教に触れるのはごくたまにでした。

自分から教会に通うようになったのは20歳の頃、洗礼を受けたのは社会人になってからです。

自分から教会の門を叩いておきながら、ではありますが、その教理にはずっと物足りなさを感じていました。

どんなに良い話だと思えても、いつも同じ内容、同じメッセージ。でも、そういうものだと思ってました。

神様はあなたのことを愛している、一人一人に賜物が与えられている、できるだけの事をしたらあとはすべて神様に任せる、後は神様が助けてくださる。あなたはそのままで十分尊い。

聞こえはいいですが、何年も何十年もこの同じ内容。どんな多岐にわたる話も結局はいつもこのまとめに落ち着きます。

そんな中、本が好きだった私は、そのうち自己啓発にもハマっていきました。

クリスチャンだった私は、日本人の書く神道や仏教の影響を受けたものも、哲学の香りのするものも共感できず、キリスト教文化の中で書かれた欧米の自己啓発に興味を持っていきました。

その中で出会ったのが、悪なる「引き寄せの法則」でした。そしてこの引き寄せの法則にどんどんハマって行きました。

けれどもどうしても無視できない疑問、違和感がありました。

文章の中に多くの聖書の言葉が引用され、キリスト教的なのにも関わらず、どこにも「神」という言葉を出さない。聖書から聖句を引用し、キリスト教を前面に出しているにも関わらず、です。そこにずっと違和感しかありませんでした。

その違和感が私を護ってくれました。

違和感の正体を探る中、ネットで「悪魔崇拝」の存在を知ったのです。

自分がとても危険なところに首を突っ込んでいることに気づき、即「引き寄せの法則」を捨てました。

世の中で何が起こっているのかわけが解らなくなりました。

そして陰謀論に関心を向けるようになったのです。

陰謀論については胡散臭い情報も多く、真実がわからずにいた頃、結局、聖書が鍵なのだと気付きました。

聖書でいう終わりの時は確かに今なのだと思うしか無く、黙示録を中心にしっかり読んで理解したい、と思うようになりました。明らかにその悪なる者たちは聖書を意識して行動していると思ったからです。

ただこの時も、世の中のキリスト教にどっぷり浸かっていた私は、通読なんてなかなか出来るものではないと決めつけ、一部だけを理解しようとしていました。

ネットや書店で情報を探しまわりましたが、その一部だけ、例えば黙示録だけを解明しようとしました。けれども納得のいく解釈をしていると思えるものは、一つも見つかりませんでした。

自分の教会はその点では全く何の頼りにもなりませんでした。

終わりの時は、聖書を締めくくる重要な部分です。にもかかわらず私の教会では全くそのことに触れたことがなかったのです。

本当に毎回毎回、神様は私たちを愛している、私達にはタラント(賜物)が与えられている。出来るだけの事を精一杯やったら、あとは神様に委ねよう。神様は自分に良いものを必ずくださるから、といった内容を繰り返しているだけ。

それも大切なメッセージでしょう。でも、喜びの恵みの話だけ。ゆるい平和のみ言葉だけでした。神様が信者を試練に合わせるなど、まるであり得ないかのように。

ネットにはほかの教会の教理も見つけました。終わりの時にはイエス様が現れて、艱難が来る前に空中に引き上げられて避難できるとか、いや、患難の最中だ、とか、艱難後だ、とかそんなことが論じられていました。

艱難前に空中に避難できるから自分たちは大丈夫だ、と呑気に安心している信者たちに対して、

「それは違うだろう、そんなに都合よくないだろう、可哀想に、自分の信じてる教理が間違っていると後で知った時、どんなにショックだろう」と、

そう考えた時、

私の人生を変えた大きな気付きがありました。

「私自身も、自分の信じているこの教会が正しいなんて、どうして確信できるんだろう?」

今思えば、これが私の新しい信仰のスタートでした。

自分が正しいと信じていたものは正しくないかもしれない。自分で答えを見つけなくてはならない、教会も、ネットのいろんな教理も、頼ってはならない。自分で聖書を学ばないと。

けれども聖書の世界はあまりにも広く深く難解で、何をどうして良いかわかりませんでした。

そんななかで、RAPTさんのブログに出会ったのです。

一般記事でしたが、クリスチャンのRAPTさんが、聖書を通してこの世のカラクリを次々と解き明かしておられるのを見て、むさぼるように読みました。

有料記事は少し遅れて読むようになりました。2017年の3月、気になる記事のパスワードを購入して聞いてみました。

が、あまりもの想像を越えた内容に驚きしかありませんでした。

どう聞いても神様が話しているように聞こえるのに、電車、飛行機など現代のものが出てくる。聞いた事もないこのみことばは何だろう。

ただ、はっきりと感じたのは、決して手放してはいけないものと出会ったのだということでした。

聖書では偽預言者に気をつけなさい、といったみ言葉があります。自分こそキリストだと偽る者に気をつけなさいとあります。

それを根拠に、全てのそういうものに近寄るなと、通っていた教会では教わりました。

でもそれでは、いつか必ずくると言われる再臨主は、どうやって見分けるのだろうと、ずっとわからなくも思っていました。それは恐らく今の時代なのに、と。

教会ではNGだと言われていた内容にも関わらず、ここに真実があり、混乱しながらも絶対にこのRAPTさんのみことばを手放してはいけないと、強く確信だけはしました。

そしてまた、もっと早くに有料記事に目を向けていれば良かったと思いました。

私の信仰生活は紆余曲折です。正直なかなか成長できずに日々もがいてばかりです。

成長が遅いので、大きな恵みをいただいた、というような素晴らしい証など、まだ私にはありません。

ただ、日々の生活の中で、小さな出来事一つ一つに主の導きを感じ、成長する機会を、いつも頂いています。

最近、仕事を変えました。

今までの仕事があまりにもイルミナティーの手伝いをしているような仕事だったのが苦しく、ようやく転職しました。

ものづくり関連の店で今は働いています。

アルバイトですが、なかなか厳しい職場ではあります。

仕事をなかなか覚えられず叱られてばかりです。

この信仰を生きていて、頭がクリアーになり知能がアップするはずなのに、全然です。自分はこんなに何もできない人間だったっけ、と思ったりします。

でも私は神様に祈ってもいたのです。

つまらない私のちっぽけなプライドを、徹底的に壊して下さい、と。

ちょっとできると思っていた技術はスピードも遅く未熟で、抜かりなくやったと思ったことは穴ぼこだらけ。

たいしてプライドなど持っていないと思っていた私の、自分でも気づかなかったプライドがなんと多いことか、日々思い知らされています。

また、偶然にも女性ばかりの職場で、女性ばかりの特有の空気の中で仕事をしています。正直しんどく感じることも多いです。

でもこのことも私は神様に祈っていたのです。

エバが堕落した時から背負い続けてきた女性の罪を、全て見付け出し、自分の中から滅ぼすことができますように、と祈っていたのです。

そしたら女性ばかりの職場が与えられたのです。

思うようにいかないこと、苦しいことがあっても、気がつけば、求めるものは全て与えられてきました。

はたから見たら私の人生はそんなに順調ではないかもしれません。

でも、自分が成長できるように、神様と共に歩める者になれるように、

いつも神様の導きを頂いています。

まだまだ信仰幼く成長も遅く不安定のなか歩んでいます。

大きな恵みも成功も、まだ頂けるだけの自分にはなっていません。

でも、成長するための導きを、いつも本当に豊かに与えられているのです。

それは私には本当に大きな恵みなのです。

これからの艱難の時に生き残るためにも、基礎的な力をしっかりつけていけるように、どこまでも導いて下さっているのです。

厳しい中にも必ずその中に、自分の持っている問題点を見つけることが出来るのです。

今年、主の祝祭の日に、とある高原に行きました。

そして、初めて「主と共に過ごせた」と実感し、喜びに満たされた1日を過ごすことが出来ました。この信仰を始めて、実は初めてのことです。

日々の条件を積むこともなかなか出来ない私だったのに、神様は素晴らしい1日をくださいました。

この写真はその時のものです。

Twitterでの情報拡散も、リツイートばかりで大きな技を成せていません。

何もかも力不足です。

それでも全てを主に捧げて生きたい理由が私にはあります。

その事は長くなりそうなので別の機会にお話ししたいと思います。

必ず大きく成長して、主と共に走り、世界中の人を救う者になりたいと、そう思って日々を生きています。

どうか、私のこのちいさな証が、ひとりでも多くの人の心に届き、主に導かれるものとなりますように。

神様のために働きを成すものとなりますように。

兄弟姉妹の力になれますように。

長文、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

主にイラストを描いています。 自分の出来ることを通して、1人でも多くの方に真実を伝えたいです。 まだRAPTさんのブログをご存知でない方には信じられないこともあるでしょう。全ての人が理解できるわけではないとも思います。 それでも一人でも多くの方が真実にたどり着きますようにと願い、自分のできることを日々模索している、ひとりのクリスチャンです。